東京地方裁判所 昭和55年(ワ)13484号 判決 1986年7月25日
原告
株式会社宏和
右代表者代表取締役
山口愼一郎
右訴訟代理人弁護士
里見弘
同
熊谷隆司
同
小川憲久
同
名波倉四郎
右訴訟復代理人弁護士
木山義朗
同
伊井和彦
被告
日本中央競馬会
右代表者理事長
武田誠三
右訴訟代理人弁護士
松本正雄
同
畠山保雄
同
田島孝
同
石橋博
同
堀内俊一
主文
一 原告の請求を、いずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は、原告に対し、金一〇億円及びこれに対する昭和五五年一二月二五日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告等の商人性
原告は、不動産の売買、賃貸、管理等を目的とする株式会社であり、不二建設株式会社(以下「不二建設」という。)は、建設請負等を目的とする株式会社である。
2 共同事業の契約
(一) 本件共同事業契約の締結
被告は、昭和四八年一一月一〇日ころ、不二建設との間において、大阪市西区土佐堀通りに被告の場外勝馬投票券発売所(以下「場外発売所」という。)を設置することを目的として、左記内容の共同事業契約(以下「本件共同事業契約」という。)を締結した。
記
(1) 不二建設は、本件共同事業の主体とするため原告を設立することとし、以後は原告(原告設立発起人組合)が本件共同事業契約を引き継ぎ、被告との間で本件共同事業の具体的実施細目を決めることとする。
(2) 原告は、大阪市西区土佐堀通り五丁目八二番地外約一〇〇〇坪の土地(以下「本件土地」という。)を取得し、本件土地上に被告の場外発売所の用に供する他に転用のきかない特殊なビル(以下「本件ビル」という。)を建築、所有、管理して被告に賃貸するものとする。
(3) 被告は、原告から、本件ビル全部を、場外発売所として使用するため、賃借する。
(4) 被告は、原告に対し、本件共同事業遂行のため、資金を援助し融資の斡旋をする等資金面についてできる限り原告の便宜を計る。
(二) 事業計画案の作成
原告は、本件共同事業契約に基づき昭和四九年三月一五日設立され、右契約に基づく不二建設の契約上の地位は、原告に移転されたが、原、被告は、同月一八日ころ、右契約に基づき、そのサブ・コントラクトとして次の内容の事業計画案を作成した。
(1) 総事業費 七九億円
① 土地関係 二二億五三〇〇万円
(細目)土地買収費 二〇億円
取 得 税 六〇〇〇万円
登 録 税 五〇〇〇万円
保 有 税 五六〇〇万円
都市計画税 四〇〇万円
金 利 八三〇〇万円
② 建物関係 五五億二六〇〇万円
(細目)建設費 五二億円
既存建物撤去費 二〇〇〇万円
設計管理費 一億五〇〇〇万円
取 得 税 一億三〇〇〇万円
保存登記料 二六〇〇万円
③ 建設中諸経費 一億二一〇〇万円
(2) 被告は原告に対し、二四億円を建設協力金として以下のとおり貸付ける。
① 原告設立登記後に五億円
② 昭和四九年九月末日までに五億円
③ 本件ビル建設工事の着工及び進捗状況を勘案して協議のうえ一四億円
返済は、各貸渡日を起算日としてそれぞれ一〇年間据置き、一一年目より一〇年間の均等分割払とし、利息は据置き期間無利息、以降は残額に対して年利率二パーセントとする。
(3) 土地買収資金のうち、一〇億円については原告が被告の斡旋協力により、株式会社住友銀行(以下「住友銀行」という。)より借入れることとし、その他本件ビル建設に要する資金は、被告の斡旋協力により原告が金融機関等より借入れるものとする。
(4) 本件ビルの建築許可等その他関係官庁よりの諸許認可の取得については、原、被告協力してこれを行う。
(5) 本件ビルは、被告専用使用を目的とし、被告は全面積(約八〇〇〇坪)を原告より次の条件で賃借する。
① 賃貸借期間は最短でも二〇年とし、賃借権登記をする。但し、競馬会に関する法令の改廃、主務官庁の指示に基づき契約物件を場外発売所の目的に使用できなくなつた場合には解約できる。
② 賃料は年額八億九八〇〇万円とする。但し、事業費実費額を基準として協議のうえ調整する。
③ 本件ビルに関する共益費、室内電気料金等は被告の負担とし、その余の建物維持管理費、損害修繕費等については協議する。
(三) 建設協力金貸借契約の締結
同月二二日、右事業計画案に基づき、原、被告間において、サブ・サブ・コントラクトとして左記内容の建設協力金貸借契約が締結され、同月二六日、同年九月三〇日に各五億円の貸付が被告から原告になされた。
記
(1) 貸付総額 二四億円
(2) 貸 付 日
① 昭和四九年三月二六日 五億円
② 同年九月三〇日 五億円
③ 残金一四億円については建物完成までに二回に分割貸付。
(3) 返済方法 貸付日より起算して一〇年間据置き、一一年目以降一〇か年にわたり均等返済。
(4) 利 息 据置期間は無利息とし、その後年二分の割合。
(5) 返済特約 左の場合、直ちに返済すること。
① 返済を一回でも遅滞したとき
② 後記抵当権を設定しなかつたとき
③ 手形不渡りを発生させたとき
④ 会社更生、破産、和議の申立を受けたとき
⑤ 解散したとき
(6) 担 保 建設用地たる本件土地と建築される建物につき、順位第一番の抵当権を設定すること。
(7) 万一地元の同意を得られず本件場外発売所に関し、農林大臣(昭和五三年七月五日以後は農林水産大臣。以下ともに「農林大臣」という。)の承諾を受けることが困難となつたとき、その他の事由により原、被告協議のうえ本件事業を断念したときは、原告は被告に対し、建設用地の売却等の措置を講じ、貸付金全額を返還すること。
3 共同事業契約の破棄による債務不履行に基づく損害賠償請求―第一次的請求
被告は、原告に対し、昭和五三年七月一二日ころ、同年一二月末日までに本件ビル工事に着手できない場合には本件ビル建築の推進は断念し、前記建設協力金一〇億円を直ちに返還する旨の文書を提出するようにとの要求をなし、同年一〇月二七日には、翌五四年六月末日までに右建設協力金の返還をなすよう求め、さらに翌五四年一月には、本件事業の打切りを宣言し、同年六月には同月末日までに協力金の返還がない場合には担保として設定していた本件土地に対する抵当権の実行をなす旨の通知をした。これに対し、原告は、被告を相手方として東京簡易裁判所に調停(同裁判所同年(ノ)第二六五号事件)を申し立て、八回にわたる調停期日が重ねられたが、結局、昭和五五年五月二六日、原告は被告に対する損害賠償請求権等の各種債権を留保して、被告に対し、右建設協力金を返還する旨の調停が成立し、その後その返還義務の履行がなされた。
4 損失分担合意に基づく請求―第二次的請求
(一) 本件共同事業契約の特約としての損失分担合意
原告発起人組合代表者山口吾郎は、被告との間で、昭和四九年一月一一日若しくは同月二四日、本件共同事業契約の特約として、本件共同事業が失敗した場合の損失を原、被告間において各二分の一ずつ負担する旨の合意をなした。
(二) 本件共同事業契約の特約としての金利負担についての損失分担合意―(一)の予備的主張
原告発起人組合代表者山口吾郎と被告との間で、昭和四九年一月一一日若しくは同月二四日、本件共同事業契約の特約として、本件共同事業失敗の場合の借入事業資金の金利負担部分についての損失を原、被告間において各二分の一ずつ負担する旨の合意をなした。
(三) 本件場外発売所の建築はできず、本件共同事業は、達成できずに終了した。
5 匿名組合契約ないし類似の契約又は民法上の組合契約に基づく損失分担請求―第三次的請求
(一) 匿名組合契約ないし類似の契約の成立
原告(設立前は、原告発起人組合)と被告との間で、昭和四八年一一月一〇日ころから、同四九年三月一八日ころまでの間に、原告が本件土地上に本件ビルを建築し、被告はこれを賃借して場外発売所を設置して、原告は本件ビルの賃貸により、被告は本件ビルを場外発売所として使用することにより、ともに本件事業により生ずる利益を分配することを目的として、被告は原告に対して、二四億円の金員を一〇年間は無利息で、一一年目以後は年二分の利息で一〇年間にわたり均等分割返済するという約定で貸し渡すことにより、年八パーセントの銀行金利相当分二七億六〇〇〇万円の支払をなすのと同等の経済的利益を原告に与える旨の合意が成立し、そのうち一〇億円の貸付については実際に履行された。
よつて、原、被告間の右合意は、匿名組合契約ないし類似の契約の締結及びその出資額を定めたものというべきである。
(二) 民法上の組合契約の成立―(一)の予備的主張
仮に、右(一)が認められないとしても、原告(設立前は、原告発起人組合)と被告との間で昭和四八年一一月一〇日ころから同四九年三月一八日ころまでの間に、被告が右(一)のとおりの出資をし、原告がその余の出資をして、原告が本件土地上に被告が場外発売所を設置するため、地元の同意を取り付けて本件ビルを建築し、被告も右出資の他資金融資の斡旋、農林大臣の承認の取付等の協力をなして建築された本件ビルを全部賃借するという共同事業を営むという合意が成立した。
よつて、右合意は民法上の組合契約を締結したものというべきである。
(三) 本件場外発売所の建築はできず、本件共同事業は、達成できずに終了した。
(四) 損失分担割合
(1) 右のとおり、原、被告の収益は本件ビル全体を共同して全面利用することから発生するものであること、損失分担割合は少なくとも半々であるとの前提で話し合いがなされ、事業が開始されていること等すべての事情を勘案すると、損失分担割合は、原、被告各自二分の一とみるべきである。
(2) 仮に(1)が認められないとしても、前記2(三)のとおり、被告は、原告に二四億円を一〇年間無利息、一一年目以降は一〇年にわたり均等返済(利息は年二分の割合)の条件で貸与するのであるから年八分の銀行金利で考えたとき、総額二七億六〇〇〇万円の金利相当額を支払つたこととなり、したがつて、本件総事業費七九億円に対し二七億六〇〇〇万円相当の被告の出資がなされたことになり、原告は、その残額である五一億四〇〇〇万円相当の出資をすることになる。よつて、原、被告の出資割合は五一・四対二七・六となり、これと同じ割合で損失分担義務をそれぞれ負うべきものである。
6 契約締結の過程における信義則上の注意義務違反による不法行為に基づく損害賠償請求―第四次的請求
本件共同事業は、被告の指定する日本競馬施設株式会社の指示に従つた構造、仕様の極めて特殊な、したがつて他に転用のきかないビルの建設を目的とし、用地買収を含む事業推進の手段、時期、方法等もすべて被告の指示、指導を受け、毎月報告書を作成して被告に提出し、必要資金についても被告からの特別な融資を受ける等全面的に被告に決定権が委ねられたものであつた。そのため、原告は、全面的に被告の副理事長酒折武弘ら担当者の言を信頼して本件共同事業を推進していたものであつた。したがつて、数々の場外発売所建設事業の経験を有する被告としては、被告を全面的に信頼し依存する状態であつた原告に対し、失敗の場合の損失分担はしない旨明確に伝え、場外馬券発売所建設事業に関し経験のない民間会社である原告が損失分担を得られるものと誤解することのないように正確な情報を与えて本件共同事業契約の内容を検討する機会を与え、原告の誤解を避ける等の信義則上の義務を負つていた。しかるに、被告は右義務を怠り、原告が本件共同事業契約締結の過程において、本件ビル建築までの危険、特に本件事業失敗の場合の損失の分担について、被告の副理事長酒折武弘は本件事業についての危険負担は五分五分であり、被告も共に危険を負担する等と答え、またその旨の書面化を求めた原告に対して書面化はできないが被告を信頼せよと答えたため、原告は右副理事長の言を信じ、失敗の場合の損失について、その半分を被告が負担してくれるものと考え、この点を書面化することなく、昭和四八年一一月一〇日ないし同四九年二月一八日の間に本件共同事業の推進をしたが、前記3のとおりの被告の事業破棄通告により本件共同事業は失敗に帰したものである。
7 原告の損害又は損失
右3(予備的に4ないし6)の結果、原告は以下のとおりの損害又は損失を被つた。
(一) 土地関係
原告は、本件ビル建築のための本件土地約一〇〇〇坪の取得のために、昭和四八年一二月一三日から同五〇年六月一〇日にかけて、綾羽工業株式会社(以下「綾羽工業」という。)から約四〇〇坪を八億円で、不二建設から約五〇〇坪を一〇億円で、伊賀一男から約二〇坪を四〇〇〇万円で、西田大次郎から約八四坪を二億円で、それぞれ買い受けて、右各代金を右各売主に支払い、各所有権移転登記を経由し、また右伊賀一男に対しては、他に右約二〇坪の土地上の同人所有の二階建店舗の賃借人の立退料として二〇〇〇万円を支払つた。
しかるに、原告は右3の調停条項を履行するため、本件土地を長谷工不動産株式会社に売却せざるをえなかつたが、右売却に当たり、国土利用計画法により売買価格が制限され、結局次のとおり合計七四四七万六一四八円の損害又は損失を生じた。
(1) 土地取得費用
土 地 代 二〇億六〇〇〇万円
仲介手数料 六一〇〇万円
登録印紙税 一三一四万五四〇〇円
取 得 税 一一〇〇万四一五八円
特別土地保有税 一億五二九八万八一九〇円
固定資産税 三一三三万八四〇〇円
(合計 二三億二九四七万六一四八円)
(2) 土地売却代金 二二億五五〇〇万円
(3) 差引損失 七四四七万六一四八円
(二) 金利保証料関係
原告は、次のとおり、昭和四九年三月一五日から同五五年六月三〇日まで、本件事業のための借入金の利息及び保証料として合計一〇億二一八六万八九四四円を支払つたが、これがそのまま同額の損害又は損失となつた。
住友銀行 七億一七五三万七六六二円
不二建設 二億三〇〇六万四五〇六円
伊藤忠商事株式会社(以下「伊藤忠商事」という。)
(保証料)七四二六万六七七六円
(合計 一〇億二一八六万八九四四円)
(三) 諸経費
原告は本件共同事業のため設立され、昭和五五年六月まで、本件共同事業のみを業務としていたものであるから、その間の次の経費は全て本件共同事業に関する損害又は損失となつた。
給 料 五〇六八万九二四〇円
家 賃 二五六六万六〇五一円
水道光熱費 一五七万六六二六円
宿 泊 費 九二九万六〇七三円
交通通信費 一〇六三万二一一二円
事務用品費 四二万五九四〇円
そ の 他 四七二九万六五三四円
(合計 一億四五五八万二五七六円)
(四) 設計料
原告は、本件ビルの設計を不二建設及び能勢設計事務所に発注し、同社らは、昭和五一年八月には第一次設計案による実施設計をほぼ完成させ、そしてその後同五二年五月に至り被告の指示により基本設計変更を行い、同年八月には設計変更も終了して数百枚以上に及ぶ実施設計図面を完成させたのであり、原告は、同社らに対し次の設計料債務を負担し、これが損害又は損失となつた。
第一次設計料分 一億二〇〇〇万円
第二次設計料分 八〇〇〇万円
(合 計 二億円)
(五) 地元説得費用
原告は、右各費用の他にも、被告の暗黙の了解のもとに、地元有力者、議員等に対する献金、寄付金その他の地元同意取付費用として約四億円の支払をなした。
8 催告
原告は、被告に対し、前記損害又は損失のうち一〇億円の損害賠償金又は損失金の支払につき、昭和五五年一二月二四日送達の本訴状をもつて催告した。
よつて、原告は、被告に対し、第一次的に共同事業契約不履行による損害賠償請求権に基づき、第二次的に損失分担の合意に基づき、第三次的に匿名組合契約ないし類似の契約又は民法上の組合契約による損失分担請求権に基づき、第四次的に契約締結過程における信義則上の注意義務違反による不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、一〇億円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五五年一二月二五日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による金員の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1(原告等の商人性)の事実は認める。
2 同2(共同事業の契約)について
(一) 同2(一)(本件共同事業契約の締結)の事実は否認する。
(二) 同2(二)のうち、原告が昭和四九年三月一五日設立されたこと、原、被告間で同月一八日ころ、(1)ないし(5)を内容とする事業計画案を作成したことは認め、その余の事実は否認する。(1)の総事業費七九億円及びその明細については、建設協力金の算定や賃料等の基礎となるものとして原告から行われた説明であつて合意内容ではない。
(三) 同2(三)のうち、昭和四九年三月二二日、原、被告間で(1)ないし(7)を内容とする建設協力金貸借契約が締結され、同年三月二六日、九月三〇日に各五億円の貸付が被告から原告になされたことは認め、その余の事実は否認する。
3 請求原因3(被告の建設協力金返還要求等)の事実は認める。
4 請求原因4(損失分担合意に基づく請求)について
(一) 同4(一)(損失分担合意)、(二)(金利負担についての損失分担合意)の各事実は否認する。
(二) 同4(三)(本件共同事業の達成不能)のうち本件場外発売所の建築ができなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
5 請求原因5(匿名組合契約ないし類似の契約又は民法上の組合契約に基づく損失分担請求)について
(一) 請求原因5(一)(匿名組合契約ないし類似の契約の成立)、(二)(民法上の組合契約成立)の各事実はいずれも否認する。
(二) 同5(三)のうち本件場外発売所の建築ができなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
(三) 同5(四)(損失分担割合)の事実について
(1) 同5(四)(1)の事実は否認する。
(2) 同5(四)(2)のうち、被告が原告に二四億円を一〇年間無利息、一一年目以降は一〇年にわたり均等返済(利息は年二分の割合)の条件で貸与するものであつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
6 請求原因6(契約締結過程における信義則上の注意義務違反による不法行為に基づく損害賠償請求)について
請求原因6のうち、本件のビルが構造、仕様の特殊な他に転用のきかないものであること、原告が被告から必要資金について特別な融資を受けるものであつたことは認めるが、その余の事実は否認する。
7 請求原因7(原告の損害又は損失)の各事実は知らない。
三 抗弁(請求原因3に対して)
1 建設協力金貸借契約の条項(請求原因2(三)の(7))に基づく金員の返還請求権の行使であること
(一) 地元同意取付達成不能
(1) 場外発売所設置のためには農林大臣の承認が必要であり、場外発売所施設の設置承認に関する行政通達では施設が所在する市町村の長の施設設置に関する同意書の添付を定めていたが、実際の行政運営においては、地元町会の同意書をもつて代える取扱いがなされており、本件の場合は地元町会に当たるものとして江戸堀連合振興町会の同意が事業の実行のために必要であつたので、原告は、地元同意の取付のために昭和五一年一月二六日江戸堀連合振興町会に対し事業計画の説明を行つたところ、これに対し、江戸堀連合振興町会は、本件事業に対し反対の決議をなし、同年二月二〇日には、原告に内容証明郵便をもつてその旨通告し、また江戸堀場外馬券売場設置反対同盟を結成して陳情その他の反対運動を展開した。
(2) 原告の右反対運動に対する説得活動は、昭和五二年八月一九日に江戸堀連合振興町会の上部団体である西区地域振興会の藤原正雄会長から本件事業の促進への協力に踏み切ることを表明する旨の文書を得たことで大きな進展を得たかに見えたが、その直後、その傘下の各連合振興町会から、右文書は右藤原正雄が西区地域振興会の会長名を無断で使用した効力のない文書である旨の通告があり、右藤原自身も右文書の撤回と右会長辞任を余儀なくされるに至つた。
この不祥事によつて、原告は、当面、江戸堀連合振興町会の同意取付に関して具体的な手だてを見い出すことができなくなり、以後も交渉その他は何ら行われることはなかつた。
(3) 以上のような地元での反対運動のため、計画にかかる本件ビルの建築に関する行政上の許認可(大規模開発の許可と建築確認)手続についても全く進展を見ることができなかつた。
即ち、原告は、昭和五二年七月六日、同月二二日に被告との間で本件ビルに関する設計協議を経て、同月二九日に、大阪市の中川建築指導部長に対し、事前協議の申請受付を打診したところ同部長から地元での反対がある状況での受付は出来ない旨断わられた。以後原告はしばしば大阪市建築指導部と接触し、申請書類の受理を打診したが、その都度待つてほしいと断わられ、同五三年一月二六日に原告の要請で、被告の田中場外調査室長らが、中川建築指導部長を訪ねた際も、書類の受理ができる情勢ではない旨の市の堅い意向を示されて持参した要請文書の提出を見合わせざるをえない状態であつた。このような状況は、その後も変わらず、ついに、原告は同五三年六月九日大阪市建築局北垣局長に申請書類を郵送することにより提出を強行したが、当局では正式な受付はしないが預り置くから地元代表と話し合うようにと指示するにとどまり、依然、事態は同じであつた。
(4) 右のような状況が続く中、昭和五三年一〇月二〇日の衆議院法務委員会においても本件のことが問題となり、同委員会の席上、同委員会委員である衆議院議員正森成二から三堀健説明員(農林水産省昭和五三年七月五日以前は農林省(以下ともに「農林省」という。)畜産局競馬監督課長)に対し本件発売所設置については反対陳情が強く地元の同意の取付ができない状態なのに原告が被告から一〇億円もの大金を一〇年間無利息で借りているが、設置の見込もないままずるずると引きのばしているので早く決着をつけるように善処されたいとの発言があつた。
よつて、遅くとも、右(4)の時点においては、本件における地元の同意取付の達成は社会通念からみて不能であつたものである。
(二) 協議による断念と評価されるべき事実
右のような状況の下で昭和五二年九月に原、被告間で事態収拾の話し合いをした際、原告も同年末日までに事業遂行ができない場合、断念せざるをえない旨認めつつも、更に一年間の期間の猶予を求め、結局は、同五三年一二月末日までに着工できない場合断念するという方向で交渉が進められた。
その後、被告は、原告に対し、昭和五三年一〇月二七日付文書をもつて、同年一二月末日までに特段の状況変化のない限り計画は断念せざるをえないこと、協力金返還の時期については、本件土地売却に必要かつ相当な所要期間として昭和五四年一月一日から六か月間を猶予する旨を伝えるなどして協議を求めた。
そして、その後右の状況に特段の変化がみられることなく、相当期間である昭和五三年一二月末日が経過した。
よつて、右期日の経過をもつて、建設協力金貸借契約第九条に定める協議はあつたものというべきである。
2 建設協力金返還請求等についての被告の違法性ないし帰責事由の不存在
(一) 抗弁1(一)(地元同意取付達成不能)の各事実と同旨。
(二) 本件における地元同意取付の達成は社会通念からみて不能であつたものであり、かつ、このように不能となつたことについて被告に違法性ないし帰責事由はない。
四 抗弁に対する認否
1 抗弁1(建設協力金貸借契約の条項に基づく金員の返還請求権の行使)について
(一) 抗弁1(一)(地元同意取付達成不能)について
(1) 抗弁1(一)(1)(昭和五二年八月ころまでの地元の反対運動)の事実は認める。
(2) 抗弁1(一)(2)(昭和五二年八月ころ以降の地元の反対運動)のうち、原告が昭和五二年八月一九日に江戸堀連合振興町会の上部団体である西区地域振興会の藤原正雄会長から本件事業の促進への協力に踏み切ることを表明する旨の文書を得たことは認め、その余の事実は否認する。
(3) 抗弁1(一)(3)(建築に関する許認可の申請書類の受理)のうち、原告が昭和五二年七月六日、同月二二日に被告との間で本件ビルに関する設計協議を経て、同月二九日に、大阪市の中川建築指導部長に対し、事前協議の申請受付を打診したが断わられたこと、以後原告がしばしば大阪市建築指導部と接触し、申請書類の受理を打診したが断わられたこと、同五三年一月二六日原告の要請で被告の田中場外調査室長らが中川建築指導部長を訪ねたこと、原告が同年六月九日大阪市建築局北垣局長に申請書類を郵送したことは認め、その余の事実は否認する。
(4) 抗弁1(一)(4)(衆議院法務委員会における質議)の事実は知らない。
(二) 抗弁1(二)(協議による断念と評価されるべき事実)について
抗弁1(二)のうち、被告が原告に対し、昭和五三年一〇月二七日付文書をもつて、同年一二月末日までに特段の状況変化のない限り計画は断念せざるをえない旨及び協力金返還の時期については昭和五四年一月一日から六か月間を猶予する旨を伝えたことは認め、その余の事実は否認する。被告の本件事業の打ち切りは全く一方的なものであつた。
2 抗弁2(建設協力金返還請求等についての被告の違法性ないし帰責事由の不存在)について
(一) 抗弁2(一)(地元同意取付不能)の事実についての認否は、抗弁1(一)についての認否と同旨。
(二) 抗弁2(二)の事実は否認する。
五 再抗弁
1 抗弁1(一)(地元同意取付達成不能)同2(一)(同上)に対する評価障害事実
昭和五一年八月ころの地元公明党議員後援会アンケート調査の結果では、本件場外発売所建設に対し賛成ないし条件付賛成の者が五八パーセント、反対の者が二五パーセントであつたし、また、同五三年三月には西区身体障害者団体協議会より促進賛成の申し入れを受け、地元母子家庭の会より賛成の意向を伝えられる等事態は次第に好転し、本件計画は進展している状況にあつた。また右作業に並行して原告は大阪市との間で開発事前協議の準備を行い、同年四月大阪市より、被告からの公式文書の提出があれば、開発事前協議を行い、確認申請を受理するとの回答を得ていた。
よつて、地元同意取付の達成が不能であつたとはいえない。
2 抗弁2(二)(被告の違法性ないし帰責事由の不存在)に対する評価障害事実
仮に、本件地元同意取付の達成が被告主張のとおり、不能であつたとしても、それは、専ら被告が昭和五一年二月一七日、原告に対し、道頓堀場外発売所設置が微妙な段階に来ているので本件ビルの方はしばらく静観して右の設置に協力して欲しいと求め、また、原告が同年三月末に地元説得のため「日本中央競馬会サービスステーション新設問題を正しく理解していただくために」と題する宣伝文書を作成したところ、被告が同年四月九日、原告に対し、右道頓堀の件もあるので、右宣伝文書の配布は被告の指示があるまで待つようにと指示したため、原告が右配布を一時見合わせざるをえなくなり、原告の積極的な地元説得工作が困難となつたこと、被告職員らが大阪市建築指導部中川部長に対し、本件場外発売所設置に対する熱意を疑わせるような発言をして不快感を与えたこと、被告が同五二年五月下旬、原告に対し、本件ビルについての規模縮小の要求をし原告が設計変更を強いられたことによるものである。
よつて、右不能につき被告に違法性ないし責に帰すべき事由があつたというべきである。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1(地元同意取付達成不能の主張についての評価障害事実)について
昭和五一年八月ころの地元公明党議員後援会アンケート調査の結果で本件場外発売所建設に対し賛成ないし条件付賛成の者が五八パーセント、反対の者が二五パーセントであつたこと、同五三年三月には西区身体障害者団体協議会より促進賛成の申し入れを受け、地元母子家庭の会より賛成の意向を伝えられたことは認め、その余の事実は否認する。
2 再抗弁2(被告の違法性ないし帰責事由の不存在の主張についての評価障害事実)について
被告が昭和五一年二月一七日、原告に対し、道頓堀場外発売所の設置が微妙な段階に来ているので本件ビルの方はしばらく静観して右の設置に協力して欲しいと求めたこと、原告が同年三月末に原告主張のような宣伝文書を作成したこと、被告が同年四月九日、原告に対し右道頓堀の件もあるので、右宣伝文書の配布は被告の指示があるまで待つよう指示したこと、被告が同五二年五月下旬原告に対し、本件ビルについての規模縮小の要求をしたことは認め、その余は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(原告等の商人性)について
請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二請求原因2(共同事業の契約)について
1 請求原因2のうち、原告が昭和四九年三月一五日設立されたこと、原、被告間で同月一八日ころ、請求原因2(二)の(1)ないし(5)を内容とする事業計画案を作成したこと及び原被告間で同月二二日、請求原因2(三)の(1)ないし(7)を内容とする建設協力金貸借契約が締結され、同年三月二六日、九月三〇日に各五億円の貸付が被告から原告になされたことは当事者間に争いがなく、右各事実と<証拠>を総合すると以下の各事実が認定できる。
(一) 被告は、競馬法により中央競馬を行う団体として日本中央競馬会法に基づき設立された法人であるが、昭和四八年ころ、大阪地区の場外発売所の窓口の混雑を解消するため、梅田と難波の場外発売所の他に場外発売所を設置するべく、場外発売所用ビルを捜していた。
場外発売所設置のためには農林大臣の承認が必要であつたところ、場外発売所施設の設置承認に関する行政通達では施設が所在する市町村の長の施設に関する同意書の添付を定めていたが、実際の行政運営においては、地元町会の同意書をもつて代える取扱いがなされていた。したがつて、右設置のためには、少なくとも地元町会の同意を取り付けることが必要であつたが、この同意取付はしばしば非常に困難で、そのため、途中で断念せざるを得なくなつた例がいくつも過去において存在した。
被告としては、過去においては、自己所有の場外発売所ビルを建築したことがあつたが、その後は、民間会社の建築した場外発売所用ビル(なお、この種類のビルは場外発売所のためという特別な目的のため建築された特殊な構造のものであり他の目的への転用は極めて困難である。)を賃借して用いる方が妥当であると判断し、ビル建築完了までの危険は民間会社に負担させるとの合意のうえ、民間会社に右ビルの建築及びその前提としての地元同意取付等をさせる方法(但し、そのために必要な融資の斡旋等は被告も行つていた。)を採用してきた。そこで被告は本件についても、右方法を採用することとし、本件ビルの用地の候補地としては、交通の要所等で交通渋滞の原因となる場所や、付近に小、中学校等があるため教育上悪い影響を与える可能性のある場所を避け、面積として一〇〇〇坪前後の敷地が確保できる土地が適当であると考え、このような土地に地元住民の同意を取り付けて、建築までの全危険を負担しつつ、右場外発売所用ビルを建築したうえで、これを被告に場外発売所用として賃貸するような民間会社を捜していた。
一方、不二建設は、昭和四八年春頃同社の所有する大阪市西区江之子島一丁目四六番他九筆の宅地約五〇〇坪上に分譲マンションを建築する計画を立て、同年九月二〇日に大阪市より建築確認を受けて着工の準備を行つていたが、同年一〇月ころ、被告が右のとおり場外発売所用ビルを捜しているとの情報を元農林省勤務の花園一郎を通じて入手した。
(二) そこで、不二建設社長山口吾郎は同社営業部長渡辺英秋及び右花園一郎とともに、同年一〇月ころ、被告事務所を訪れ、被告副理事長酒折武弘(以下「酒折」という。)常務理事金丸光富(以下「金丸」という。)に対し、被告に場外発売所設置の意向があるかどうかを確認し、不二建設は、被告の希望するような条件を満たす土地を約五〇〇坪所有しており、残りの約五〇〇坪も右土地に隣接した土地を買収して確保できる見込みがあるので、被告希望のような場外発売所用ビルを建築することが可能であり、かつその意思がある旨申し出た。
これに対し、酒折、金丸は、右申出に対し大いに関心を示しつつも、場外発売所設置は地元の同意を取り付けないと実現が困難であること、右発売所ビル建設の事業は不二建設の責任においてなすべきものであり、被告は必要な場合に資金の融資の斡旋等をし、右ビル完成後は全館借り上げるだけである旨を述べた。
これに対し、山口らは、責任負担の点については異議を唱えず、地元同意取付の点については、不二建設は団地の開発事業についての地元の反対を説得して同意を取り付けた経験があり、右地元の同意取付についても自信がある旨答えたため、酒折らは、山口らとの数回の面談や職員による現地視察を経て、場外発売所の設置事業計画の交渉に入つていつた。
そして、同年一一月上旬ころから、不二建設と被告間では、大要左記のとおりの方向で交渉を前向きに進めることとなつた。
記
(1) 不二建設は、本件事業の主体とするため子会社を設立することとし、以後は右子会社(設立までは設立発起人組合)と被告との間で本件事業についての交渉を進めていく。
(2) 右子会社は、本件土地上に被告の場外発売所の用に供する特殊な本件ビルを建築、所有、管理して被告に賃貸するものとする。
(3) 被告は、右本件ビル全部を、場外馬券売場として使用するため、右子会社より賃借する。
(4) 被告は、右子会社のため、本件ビル建築に必要な資金融資の斡旋をする等の便宜を計る。
そして、被告は山口らに対し、一週間以内に農林省に対し、本件場外発売所を設置する計画があることを説明しておく旨述べ、その通り実行した。
(三) そして、昭和四八年一一月下旬、右子会社としての原告を設立させるため原告設立発起人組合が設立され、山口が発起人代表となつて、被告とさらに協議を重ねるとともに、本件ビル建築の前提として本件土地の買収交渉を進め、同年一二月一一日には、被告の斡旋により住友銀行から不二建設が借り受け、さらにこれを借り受けるという形で三億円の融資を受け、同月一三日には、原告の取引代行者たる不二建設が綾羽工業との間で本件土地のうち約四〇〇坪の土地を八億円で買い受ける旨の契約を締結した。
被告は、右に先立ち、不二建設の本件土地購入のための費用の融資先として住友銀行を斡旋したが、住友銀行も被告も本件ビル建築事業を原告ないし不二建設だけの責任で行うのは心もとないということで、他の大会社と共同で事業を推進するようにと要請し、その結果、同年一二月一〇日ころ、伊藤忠商事が右住友銀行の不二建設に対する貸付金を保証するなどの形で右事業に参加する手筈となつた。
そして、同年一二月二六日、伊藤忠商事の小島健三郎建設本部長らが、右事業に参加するについての確認のため、被告事務所を訪れたが、酒折らは、前記のとおり、原告ら民間側が、本件ビル建築までの全危険を負うものであり、被告は単に本件土地購入費二〇億円など必要な資金の融資先を斡旋するだけである旨繰り返し述べたところ、伊藤忠商事側では、右のように民間側に本件ビル完成までの全責任を負担させるのでは、同社としては本件事業に参加できない旨述べた。そこで、酒折らは、伊藤忠商事が原告と共同で本件事業を行うのなら、原告の用地取得費の金利の負担を軽くするように、建設協力金について通常の貸付の方法を変えて何らかの便法を講じ、右建設協力金の前渡しを考慮してみようと答えた。
その後も、本件ビル建築までの全危険は原告、伊藤忠の民間側で負担すべきものとする酒折らに対し、山口らは花園を介して交渉し、昭和四九年一月一〇日には、花園から山口らに対し、本件土地取得費用二〇億円のうち一〇億円は被告斡旋による住友銀行からの融資でまかなうが、残りの一〇億円については、被告が無利息の融資を行い、右費用二〇億円についての金利分について、被告側と原告側で半分ずつ危険を負担するというのが酒折の意向である旨の電話連絡があつた。
そして翌一一日、山口らは酒折と会い、右土地取得費用二〇億円の負担について交渉がなされ、やはり、一〇億円は住友銀行からの融資、一〇億円は被告からの無利息の融資でまかない、このことが、原、被告とも危険を負担することとなるという方向で話が進んでいつた。
(四) 山口ら原告設立発起人は、昭和四八年一月二四日、被告事務所を訪れ、酒折、金丸と面接し、原告設立発起人組合及び伊藤忠商事の共同作成にかかる次のとおりの本件場外発売所建設計画案(第一案)を提示し、了解を求めた。
(1) 総事業費 七七億円
うち土地買収費 二〇億円
(2) 総事業費の回収予定年限 一〇年
(3) 賃料 年間一五億四一〇〇万円
(4) 保証金着工時 二三億一〇〇〇万円
(5) 保証金の返済 竣工後一一年目から一〇年間均等分割払 無利息
(6) 土地代の融資
① 同年二月 被告より一〇億円融資(無利息)
② 同 月 被告の斡旋により住友銀行から一〇億円融資(年利率八・二五パーセント)
(7) 土地代の返済
① 着工時 被告からの保証金で一括返済
② 場外発売所として建設の許認可の取得ができなかつた場合 融資時から七年据置八年目一括返済
(8) (1)から(4)を控除した額(五三億九〇〇〇万円)については全額竣工までに、必要な都度被告が無利息で融資する。返済は竣工時から七年間均等分割返済
これに対し、酒折らは、被告の本件場外発売所使用は半永久的であるから、総事業費の償却を一〇年と考えるのではなく利廻りを基礎として賃料等を計算して欲しいなどと述べ、原告発起人組合に対し第一案の修正を求めた。
なお、このころから原、被告間の交渉は具体化、本格化していつた。
(五) そこで、山口ら原告発起人は、同月二九日、再度被告事務所を訪れ、酒折、金丸に対し、第一案を資本収益率一二パーセントを基礎として算定し、総事業費を金七九億円に修正した左記の新計画案(第二案)を提示した。
記
(1) 総事業費 七九億円
(2) 土地代の融資 第一案に同じ
(3) 土地代の返済
① 着工時に被告からの建設協力金で返済
② 場外発売所としての建設の許認可の取得が不能と原、被告で判断した場合は、その時点から五年後に一括返済
(4) 建設協力金 着工時 二四億円
(床面積一坪当たり三〇万円で八〇〇〇坪)
(5) 建設協力金の返済 竣工後一一年目から一〇年間均等分割返済(金利年二パーセント)
(6) 賃料 年間 八億九八〇〇万円
(7) 敷金 四億四九〇〇万円(賃料六か月分)
これに対し、酒折らは、資本収益率一二パーセントというのは高すぎるのではないかと疑問を述べ、借受の面積についても八〇〇〇坪でなく六〇〇〇坪ぐらいでよいのではと述べ、建設協力金については即答する訳にいかず、また、場外発売所としての建設の許認可の取得が不能となつた場合の建設協力金の返済についての山口らの五年後という案では、同意するのが難しいと述べ、結局山口らの第二案に対する被告の返答は二月二日を目処に行うということになつた。
(六) その後、山口、小川静一良らが、被告の返答を求め、一月三一日と二月二日に被告事務所を訪れたが、被告の回答は未だまとまつていないということで回答が得られなかつた。そして、山口らが、さらに回答を求め、二月八日、被告事務所を訪れたので、金丸は山口らに対し、中間的な段階で考えていることとして、建設協力金については、山口ら主張の二四億円に対し、建設費の四〇パーセントということで二一億円しか出せないし、そのうちの前渡分についても、山口ら主張の一〇億円に対し、予算措置を講じてある五億円しか出せないし、建設協力金の返済期限についても山口ら主張の二〇年に対し、通例である一五年しか認められず、また、地元の同意が得られなかつた場合における右建設協力金の返済については、双方が不能と判断した時点において両者協議するという条件にしてくれるよう述べた。
(七) 従前は、建設協力金は建築費の三〇パーセント相当額をビル着工時に渡すという取扱がなされていた(但し、東三国の場外発売所設置計画の場合のみはさほど前ではないが着工前に渡されたが例外的な扱いであつた。)が、本件では不二建設側で年内にでも同意を取り付けて着工できるという強い自信を示したので被告としても先渡という便法を講ずることとした。そして、被告は、二月一五日ころ、山口らに対し、同人らの要求どおり、建設協力金二四億円を原告に貸し渡し、そのうち一〇億円(うち五億円は三月中旬ころまでに、残り五億円は七ないし九月までに補正予算で予算化したうえで)を前渡しし、右建設協力金の返済期限は二〇年とするが、地元の同意が得られなかつた場合における右協力金の返済については双方が不能と判断した場合において両者協議するという条件とする旨回答し、山口らもこれを了解し、後日、右内容を前提として、原告から被告に対する要望書と被告から原告に対する回答書を取り交わすこととなつた。
(八) 昭和四九年三月一五日、原告は設立されたが、それに先立つ同月五日、原告設立発起人組合は被告に対し、前記第二案を若干修正した内容の「要望書」と題する書面(甲第三号証)を提出し、これに対し、被告は右要望書の内容をさらに一部変更した昭和四九年三月一一日付回答書(甲第四号証)を同月一八日原告に交付し、原告が、右回答書に同意したため、同日、原、被告間に左記の内容の計画案が作成された。
記
(1) 原告は、本件土地を取得して、本件土地上に場外発売所用の本件ビル(仮称「宏和ビル」)を建築する。
(2) 本件ビルの建築許可等その他関係官庁よりの諸許認可の取得については、原、被告協力してこれを行う。
(3) 建設協力金
① 貸付
被告が原告に対し、建設協力金として二四億円を左のとおり貸し付ける。
原告設立登記後 五億円
昭和四九年九月末日を目処として 五億円
(被告の予算措置を目処として)
残余の一四億円については本件ビル建築工事の着工、進捗状況を勘案して協議のうえ貸付
② 返済
貸付日を起算日としてそれぞれ一〇年間据置き、一一年目から一〇か年の均等分割払とし、利息は、握置期間無利息、以後は残額に対し年利率二パーセント
万一建築許認可等その他関係官庁からの諸許認可がおりなかつたり、おりても近隣住民等の反対で本件ビルの建築が不可能になつたり、その他何らかの理由で本件ビルが場外発売所として建築できないと原、被告の判断が一致した場合には原、被告が返済条件を協議のうえ返済。
(4) 他の資金調達
① 一〇億円を原告が住友銀行から借り受けることとし、被告は、利率等につき斡旋協力する。
② その他本件ビル建築に要する資金は、原告が金融機関より借り入れることとし、被告はこれにつき斡旋協力する。
(5) 本件ビルは、被告専用使用を目的とし、被告は全面積(約八〇〇〇坪)を賃借する。
(6) 本件ビル賃貸借条件
① 賃貸借期間は二〇年とする。
但し、競馬会に関する法令の改廃、主務官庁の指示に基づき契約物件を場外発売所の目的に使用できなくなつた場合は解除できる。その場合の措置については、原、被告間で協議する。
② 賃料は年額八億九八〇〇万円とする。
但し、事業費実費額を基準として協議のうえ調整する。なお、賃料値上げについては必要に応じ協議する。
③ 敷金は四億四九〇〇万円とするが、後日賃料計算等において協議する。
④ 共益費(冷暖房換気費、共益部分費等)、室内電気料金等は被告の負担とし、その余の建物維持管理費、損害修繕費等については協議する。
(九) 昭和四九年三月二二日、右計画案に基づき、その具体化として、原、被告間において、本件ビル建築に伴なう左記のとおりの内容の建設協力金貸借契約が締結され(右建築に必要な地元同意取付等は原告が、これに基づく所要の農林大臣の承認については被告が、それぞれ担当して手続をすすめることを前提とする。)、同月二六日、同年九月三〇日に、それぞれ五億円、合計一〇億円の建設協力金の貸付が被告から原告になされた。
記
(1) 貸付総額 二四億円
(2) 貸付金明細
① 昭和四九年三月二六日 五億円
② 同年九月三〇日を目処として 五億円(但し、被告の予算措置を条件とする。)
③ 残金一四億円については建物完成まで二回に分割
(第一回目六億円、第二回目八億円の予定)
(3) 返済方法 それぞれの貸付日より起算して満一〇年据置き、満一一年以降一〇か年にわたり均等返済。
(4) 利 息 据置期間は無利息とし、その後年二分の割合。
(5) 返済特約 左の場合は直ちに返済すること。
① 右建設協力金の一部でも目的外に使用したとき
② 前記均等返済を一回でも遅滞したとき
③ 後記抵当権を設定しなかつたとき
④ 手形不渡を出して銀行取引停止処分を受けたとき
⑤ 会社更生、和議、破産の申立のあつたとき
⑥ 解散したとき
(6) 担 保 建設用地の土地と建築される建物につき、本件貸付金債権担保のため順位第一番の抵当権を設定すること。
(7) 「万一地元の同意を得られず新施設(本件ビル)に関し、農林大臣の許可(承認)を受けることが困難となつたとき、その他の事由により甲(被告)、乙(原告)協議のうえ新施設設置事業を断念したときは、乙は甲に対し当該建設用地の売却等の措置を講じ貸付金全額を返済するものとする。」(第九条)但し、この間、年六分の割合による遅延損害金を付する。
(一〇) また、不二建設は右(三)の昭和四八年一二月一一日の三億円の他、同四九年四月一日から同五二年三月二四日まで計一二億五六〇〇万円(総計一五億五六〇〇万円)を被告の斡旋で住友銀行から借り受けたが、原告はさらに右金員を不二建設から借り受け、本件土地買収資金等に充てた。
そして、原告は、右(三)のとおり、設立前の昭和四八年一二月一三日、不二建設を取引代行者として綾羽工業との間で本件土地のうち約四〇〇坪の土地の代金八億円での売買契約を締結していたが、設立後の同四九年三月三〇日、綾羽工業に対し残代金を支払い、同年三月二七日には、不二建設から約五〇〇坪の土地を、同五〇年四月八日には、伊賀一夫から約二〇坪の土地を、同年六月一〇日には、西田大次郎から約八四坪の土地をそれぞれ買い受けた。
(一一) 原告は、不二建設、能勢設計事務所に対し、本件ビルの設計を依頼し、同社らは被告及び被告の指示によつて意見を求めることとなつた日本競馬施設株式会社との間でしばしば協議をし、昭和五一年八月には実施設計がほぼ完了していた。その後同五二年五月に、後記のとおり被告の指示もあつて基本設計変更を行つた際にも、被告との協議、被告の指導のもとに設計を進め、同年八月には設計変更も終了していた。
(一二) 原告は昭和四九年三月ころから、地元同意取付のための根回を始め、本件土地約一〇〇〇坪の確保の終了した同五〇年一〇月から地元への本件場外発売所設置計画の発表を行つたところ、地元に反対運動が起り、次第に盛り上がつていつたが、これに対し、原告は地元有力者等と折衝するなどの努力をしていつた。そして、その間、並行して進んでいた道頓堀場外発売所の設置が微妙な段階にあつたため、被告の場外管理部井沢部長(以下「井沢」という。)が、道頓堀と本件の土佐堀の各地元の反対運動が共闘して拡大し、共倒れになることをおそれて、同五一年二月一七日原告に対し、道頓堀が微妙な段階に来ているので本件の方はしばらく静観してほしい旨電話したことや同年四月ころ原告が宣伝文書を印刷し地元住民に配布することを計画していたところ、被告の場外管理部(昭和五二年二月以降は場外調査室と改称)廣木康紀専門役(以下「廣木」という。)は右と同じ理由で、四月九日、右宣伝文書の配布を被告の指示があるまで待つようにと電話で申し入れた(但し、同月一五日には、廣木は、原告に、右文書の配布については原告の責任で自由に行つてよい旨電話で申し入れた。)ことや同五二年三月ころ、右道頓堀場外発売所が完成したためと地元住民の反対が弱くなるかもしれないと期待されたため、被告は原告に対し、本件ビルの規模縮小の設計変更を申し入れ、結局原告もこれを受け入れて設計変更をしたことなどがあつた。
(一三) 以上を通じ、原告は、本件ビル設置計画実施について被告に対し、定期的な報告をなし、必要なときには指示、指導を求めていた。
2 <証拠>中の右1の各認定に反する各供述部分には、曖昧な部分があり、かつ、右認定に用いた前記各証拠に照らすと、これを措信し難く、他に右各認定を覆すに足りる証拠はない。
3 右1の各認定事実を合わせ考えると昭和四八年一一月ころから大要右1(二)の方向で交渉を前向きに進めることとなり、その後伊藤忠商事も参加し、翌昭和四九年一月二四日、二九日に山口らからそれぞれ第一案、第二案の提示がなされたころから交渉も本格化し、特に建設協力金貸付の額、返済期限をめぐつての頻繁な折衝を経て、ようやく同年二月一五日ころ基本線がまとまり、原告が設立された後の同年三月一八日ころ、原告から被告に対する要望書に対し若干の修正をした被告の回答書に対して原告も同意するという形で右1(八)のような計画案が作成され、その具体化として同月二二日、右1(九)のとおり建設協力金貸借契約が締結されたことが肯認されるが、一方右同年三月一八日ころ以前(少なくとも同年二月一五日ころ以前)には何らかの拘束力を生ずる合意と認めるべきものは存在せず、単に三月一八日の合意に向けての交渉段階であつたにすぎないものである。
そして、右のとおり三月一八日合意も、計画された本件ビルが場外発売所を目的とし他に転用がきかないという特殊性を有するものであるとはいえ、基本的には、原告が貸主として、借主たる被告に本件ビルを賃貸するという賃貸借契約の前提として、原告が地元同意取付等も含め本件ビル建設をなし、被告はこれに対し、資金融資の斡旋、建設協力金貸付等の協力等をすることを約していたにすぎないというほかはなく、原、被告間の将来の賃貸借契約の準備段階として将来の貸主である原告が自己の責任で本件ビルを建築するための種々の行為をするに当たつて、将来の借主たる被告も右建設協力金貸付等の協力等を約したものでしかないというべきである。したがつて、被告が将来の借主として将来の賃貸借契約の目的物たる本件ビルの建築に協力すべく、右1(一〇)ないし(一三)のような指導、指示等をしたこと、本件ビルが右のような特殊性を有すること等を合わせ考えても、右各交渉の経過をもつて、原告主張のような原、被告間の共同事業の契約の締結を意味するものであるとは到底肯認することができない。
三1 右二のとおり、原告主張の共同事業の契約の締結が認められないので、その余の点について判断するまでもなく、請求原因3は理由がないのであるが、原告の右請求原因3の主張は、仮に原、被告間の交渉の経緯において右二に認定したような計画案の作成、合意であつても、予備的にこれを破棄したことが被告の債務不履行に該当するという趣旨の主張であるとも善解する余地があるのでこの点についても判断する。
2 請求原因3(被告の建設協力金返還要求等)の事実は当事者間に争いがない。
そこで、以下、抗弁について判断する。
3 抗弁1(建設協力金貸借契約の条項に基づく金員の返還請求権の行使)について
なお、抗弁1の評価障害事実として原告が主張する再抗弁1も含めて検討する。
(一) 前記二1(八)(九)認定のとおり、昭和四九年三月一八日ころの被告の回答書に原告が同意することによつてなされた原、被告間の計画案の作成、合意の具体化としての同月二二日付建設協力金貸借契約によれば、「万一地元の同意を得られず新施設(本件ビル)に関し、農林大臣の許可(承認)を受けることが困難となつたとき、その他の事由により甲(被告)、乙(原告)協議のうえ新施設設置事業を断念したときは、乙は甲に対し当該建設用地の売却等の措置を講じ貸付金全額を返済するものとする。」(第九条)と規定されている。
そこで、被告の右2の建設協力金の返還要求等が右条項に該当する適法なものであるかどうかについて検討する。
(二) 抗弁1(一)(地元同意取付達成不能)について
抗弁1(一)(1)(昭和五二年八月ころまでの地元の反対運動)の事実、原告が昭和五二年八月一九日に江戸堀連合振興町会の上部団体である西区地域振興会の藤原正雄会長から本件事業の促進への協力に踏み切ることを表明する旨の文書を得た事実、原告が同五二年七月六日、同月二二日に被告との間で本件ビルに関する設計協議を経て、同月二九日に大阪市の中川建築指導部長に対し事前協議の申請受付を打診したが断わられた事実、以後原告がしばしば大阪市建築指導部と接触し、申請書類の受理を打診したが断わられた事実、同五三年一月二六日原告の要請で被告の田中場外調査室長らが中川建築指導部長を訪ねた事実、原告が同年六月九日大阪市建築局北垣局長に申請書類を郵送した事実、再抗弁1のうち同五一年八月ころの地元公明党議員後援会アンケート調査の結果で本件場外発売所建設に対し賛成ないし条件付賛成の者が五八パーセント、反対の者が二五パーセントであつた事実、同五三年三月には、西区身体障害者団体協議会より促進賛成の申し入れを受け、地元母子家庭の会より賛成の意向を伝えられていた事実は当事者間に争いがなく、これと<証拠>を総合すると以下の各事実が認定できる。
(1) 前記認定のとおり、場外発売所設置のためには、地元町会の同意の取付が必要であり、本件の場合は地元町会に該当するものとして江戸堀連合振興町会の同意が必要であつた。
(2) そこで、建設協力金貸借契約に基づき、本件場外発売所設置についての地元の同意取付を担当する原告は、昭和四九年三月ころから、国会議員、大阪府・市会議員、地元有力者等に対し、右設置についての協力を依頼するなどのいわゆる根回を始めたが、地元住民に対する計画発表、交渉等は本件場外発売所のための土地取得まで待つ方がよいとの判断に立ち、行わなかつた。
(3) そして、原告は、土地取得後の昭和五〇年一〇月に入つてから地元への計画発表を行つたところ、地元住民の一部から反対の運動が起つた。
(4) 原告の山口吾郎らは、地元同意取付のため、昭和五一年一月二六日、江戸堀連合振興町会の会議において同会長酒井元栄、副会長、各町会会長らに対し、本件事業計画の説明を行つたところ、賛成、反対などに分れたため、各町会に持ち帰つて協議することとなつた。
(5) 翌二月に入ると、反対のビラがまかれたり、本件事業計画が新聞に出たりし、九日には、本件町会で右事業計画に対する反対決議がなされ、翌一〇日には、右会長酒井が記者会見の席で右反対決議を発表し、同日付内容証明郵便をもつてその旨原告に通告した。
これに対し、原告の山口らは、町内会長らを訪問するなど説得に努めたが、反対の地元住民からは反対の文書をまかれるなどのことが続いた。
(6) 右のように地元の反対運動が続いたため、原告は、「日本中央競馬会サービスステーション新設問題を正しく理解していただくために」と題する宣伝文書を作成し、右文書約六〇〇〇通を同月一七日、地元住民あて発送したが、これに対し、各所に立看板を出すなど、反対運動が拡大し、反対住民によつて江戸堀連合振興町会を中心に、江戸堀場外馬券売場設置反対同盟(会長、酒井元栄江戸堀連合振興町会長)が結成され、同反対同盟は地元住民等約五二〇〇名の反対署名を集め、同月二三日、これを大阪市長、同市議会議長に提出し、翌二四日、西区花乃井中学校において、初の反対住民決起大会を開き、道頓堀場外馬券売り場設置反対協議会の代表も出席し、共闘の機運を盛り上げた。
(7) このように、個人的な地元の反対運動は、同年四月ころから、右反対同盟、江戸堀連合振興町会を中心とする組織的なものに変じ、同年七月二六日には、右反対同盟酒井会長らが農林省及び被告を訪れ、反対の署名簿、陳情書を提出し、初めての反対陳情を行い、その後も、右反対同盟等は、農林省、被告に反対陳情を行うと、地元でその報告集会を開き、また地元で反対デモがあるとその記録を持つて、反対陳情に行くということを月約一、二回の頻度で続け、被告も昭和五三年二月までで一〇数回の反対陳情を受けた。これに対し、原告も、同年一〇月には「土佐堀場外投票所促進連絡協議会」を発足させ、設置賛成者の署名簿作成と宣伝文書作成をし、同年一二月には、右賛成者署名簿を添付して大阪市議会副議長、建設消防委員会委員長に本件事業促進の陳情書を提出するなどの交渉を続けたが、反対運動は、原告の報告に反し、次第に強くなつていく傾向にあつた。(但し、同五一年八月ころの時点では本件場外発売所設置について、賛成三一パーセント、条件付賛成二七パーセント、反対二五パーセント、中立一七パーセントであるとの小林大阪市会議員(公明党)後援会のアンケート結果がある。)
(8) 原告は、説得工作の結果、昭和五二年八月一九日には、江戸堀連合振興町会の上部団体である西区地域振興会の藤原正雄会長からこれ以上反対のための反対を続けることは西区の地域振興の将来に大きな影響があるものと判断し、今後は建設的な協調と促進への協力に踏み切ることを表明するとの文書を得、地元の同意取付について大きな進展を得たかに見えた。しかしながら、その直後、右西区地域振興会傘下の江戸堀連合振興町会から、右文書が、同町会長の関知せざるものであつて、藤原正雄が西区地域振興会の会長名を無断で使用した効力のないものである旨の八月二五日付文書による通告があり、その他の町会からも同趣旨の通告があつたため、右藤原自身も九月三〇日には、右文書の撤回を、一一月三〇日には西区地域振興会長辞任を余儀なくされるに至つた。このような経緯のため、かえつて地元の反対を固める結果に終つてしまい、その後は地元の反対運動がますます強くなる一方であつた。
(9) なお、原告が発足させた土佐堀場外投票所促進連絡協議会からの促進賛成の陳情書の他、昭和五三年三月、一〇月、一一月には、西区身体障害者団体協議会から促進賛成の陳情書が大阪市長、被告理事長等宛に出され、また地元母子家庭の会からも賛成の意向が伝えられていたが、このような一部の団体の同意は取付が容易でありさほど重要視することはできず、地元同意取付について必要不可欠なのは地元町会(本件では、江戸堀連合振興町会)であつた(前記の道頓堀場外発売所設置事業については一部住民から仮処分申請がなされるなど激しい反対運動が展開されたが、地元町会の同意があつたため結局は実現された。)が、この点についての進展の見通しは、地元同意取付作業を本格的に開始した昭和五一年一月ころから二年(当初の原告の予想では同年夏ころには同意が取り付けられる予定であつた)以上を経過しても、全く立たなかつた。
(10) 一方、右のような反対運動の盛り上りのため、本件発売所ビルの建築に関する大阪市役所の大規模開発の許可と建築確認手続についても難行し、原告は、被告との間の昭和五二年七月六日、二二日の本件ビルに開する設計協議を経て、同月二九日、大阪市中川建築指導部長に対し、事前協議の申請受付を打診したが、同部長から地元での反対がある状況での受付は出来ないという理由で断られた。その後も原告は、同年八月三一日、九月二七日、一二月二一日などに、しばしば大阪市建築指導部に対し申請書類の受理を打診したが、その都度待つてほしいということで断られ続けた。
しかし、昭和五三年一月ころ原告から被告に対し、大阪市当局に、被告から場外発売所設置の意思表示と協力要請願いを提出してもらえれば、申請書類が受理されるのでその旨よろしく頼むとの要請があつたため、被告の田中達夫場外調査室長らは右文書を用意して同年一月二六日、大阪市役所に出向き、中川部長に会つたが、原告の右要請の内容に反し、同部長からは、地元の同意の取りまとめが先決であり、住民による反対運動の強い当時の事情の下では申請書類は受理できない旨明確に断言され、右田中らは持参した協力要請の文書の提出すら見合わせざるをえない状況であつた。
その後も、原告は、同年二月四日、二四日、三月三一日、四月一二日と申請書受理を打診したが断られ続けたため、やむなく、同年六月九日、大阪市建築局上垣局長に申請書類を郵送するという異例の方法をとり、これに対し、大阪市当局は、正式な受付はしないが預り置くから地元代表と話し合うようにとの態度をとり、この点についても全く進展を見ることができなかつた。
(11) その後も、反対運動は強くなる一方で進展の見込はなく、農林省等からは、地元情勢の好転は見込めず、また一〇億円もの大金を無利息で長期間、被告のような特殊法人が貸しているのは問題であるとして、被告に対し、期間を切つて早く処理するようにとの指示がなされていたが、同年一〇月二〇日の衆議院法務委員会においてもこの点が問題となり、同委員会の席上、同委員会委員である衆議院議員正森成二から三堀健説明員(農林省畜産局競馬監督課長)に対し、場外発売所設置については反対陳情が強く地元の同意の取付ができない状態であるのに、被告が原告に対し一〇億円もの大金を一〇年間無利息で貸しているが、設置の見込もないままずるずると返済を引きのばしているので早く決着をつけるように善処されたいとの発言があつた。
<証拠>中の右(1)ないし(11)の各認定に反する各供述部分は曖昧であり、かつ、右認定に用いた前記各証拠に照らし措信し難く、他に右各認定を覆すに足りる証拠はない。
右(1)ないし(11)に認定した状況の下では、遅くとも右(11)の昭和五三年一〇月二〇日の衆議院法務委員会での正森議員の質問の段階では、社会通念からみて地元同意取付の達成は不能となつており、本件建設協力金貸借契約の「地元の同意を得られず新施設に関し、農林大臣の許可(承認)を受けることが困難になつたとき」に該当するものと解される。
(三) 抗弁1(二)(協議による断念と評価されるべき事実)について
被告が原告に対し、昭和五三年一〇月二七日付文書をもつて、同年一二月末日までに特段の状況変化のない限り計画は断念せざるをえない旨及び協力金返還の時期については昭和五四年一月一日から六か月間を猶予する旨を伝えたことは当事者間に争いがなく、これと<証拠>を総合すると以下の事実が認定できる。
右(二)に認定したように地元の反対運動に対する進展が見られない状態が続く中、被告の監督官庁である農林省等からの指導等もあつて、被告は、原告に対し、昭和五二年九月ころから、場外発売所設置について期日を定めそれまでに着工できない場合は計画を断念することを誓約するようにと申し入れてきたが、それに対し、原告からは同五三年一二月末まで期間を猶予してほしいとの要望がなされていた。
そして、右(二)の(11)の衆議院法務委員会における質疑の後は、被告はもはや事態の好転は望めないものと判断し、同年一〇月二七日付で、原告に対し、同年一二月末日までに着工できない場合は、その時をもつて、本件事業を断念すべき時期に立ち至つたものとし、建設協力金として原告に貸付けてある一〇億円を同五四年六月末日までに返還するよう求めた。これに対し、原告は同年一一月九日付「御願い書」をもつて、本件事業は未だ断念すべき情況のものではないし、またその点についての協議も成立していないから右金員の返還は認められない旨回答したため、被告は、原告に対し、同年一一月二九日付書面をもつて再び、右金員の返還を求めたが、原告が応じなかつたので、さらに同五四年一月一二日付書面をもつて、同五三年一二月末日までに原告の場外発売所の着工がなかつたので、本件事業は断念せざるをえないこととなつたとして金員の返還を求めた。しかし、原告はこれに応じなかつたので、被告は、原告に対し同年六月には同月末日までに右金員の返還がない場合は本件土地についての右建設協力金の債権担保のため設定されていた抵当権の実行をなす旨催告し、これに対して、原告は東京簡易裁判所に調停を申し立て(同裁判所昭和五四年(ノ)第二六五号)、結局同五五年五月二六日の調停期日において、右金員一〇億円を原告は被告に支払う等の内容の調停が成立(但し、原告は被告に対する本件についての損害賠償請求権等の各種債権を留保)し、その旨履行された。
<証拠>中の右認定に反する各供述部分は、右認定に用いた前記各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定事実によれば、右(二)に認定したとおりの状況(地元同意取付の不能)の下、被告は、地元の同意を得ることは不可能と判断し、原告に対し、何度も返還の猶予を与えつつ、協議の機会を求めていたが、被告は、地元同意取付は可能であるとして譲らず、被告が協議に応ずべき相当期間であると解される昭和五三年一二月末日が経過しても協議に応じず、結局右認定のとおり調停でようやく建設協力金の返還に同意し、その後これを履行したものである。
したがつて右のような経過の下では、被告の建設協力金返還要求等もかなりの時間的猶予を与えつつ協議を求めたのに、原告が損失の分担を求めるなどして、これに応じないまま相当期間を経過したものであるから、実質的にみて前記二1(九)の(7)の条項(建設協力金貸借契約第九条)に該当するに至つたものと解すべきである。(そうでないと、社会通念からみて地元同意取付が不能となり、被告が原告に対し協議を求め相当期間が経過しても、原告が右同意取付が可能であるなどとして協議を拒み続ける限り、いつまでも原告は無利息の建設協力金を返還しなくてよいという不都合が生じるし、また、右のような結果は、右契約締結時の当事者の合理的な意思にも合致しないものと解される。)(また、通常の句読点の用法からいえば、右第九条は、「万一地元の同意を得られず新施設に関し、農林大臣の許可を受けることが困難となつたとき、」と「その他の事由により甲、乙協議のうえ新施設設置事業を断念したときは、」というようになつているので、「万一……とき、」と「その他の……とき」が並列になつており、「万一……とき、」には甲、乙の協議なくして乙は甲に貸付金全額を返済するという条項と読む余地もある。)
よつて、被告の右2の建設協力金返還請求権の行使も建設協力金貸借契約書第九条に基づく適法なものであり、原告の債務不履行に基づく損害賠償請求についての主張は理由がない。
4 抗弁2(建設協力金返還請求等についての被告の違法性ないし帰責事由の不存在)について
(一) 仮に、右3(二)、(三)に説示したように、建設協力金貸借契約書第九条の条項にあてはまるとはいえないとしても、右3(二)に認定した事実の下では、少なくとも昭和五三年一〇月二〇日の衆議院法務委員会での質疑の段階では社会通念からみて、地元同意取付達成は不能となつていたものと認められ、かつ、以下に判断するように、右不能となるについて被告の違法性ないし責に帰すべき事由は認められないので、結局被告の債務不履行に基づく損害賠償義務は否定される。
なお、抗弁2(二)に対する評価障害事実として原告が主張する再抗弁2も含めて判断する。
(二) 右不能についての被告の違法性ないし帰責事由について
再抗弁2のうち被告が昭和五一年二月一七日、原告に対し、道頓堀場外発売所の設置が微妙な段階に来ているので本件ビルの方はしばらく静観して右の設置に協力して欲しいと求めたこと、原告が同年三月末に、原告主張のような宣伝文書を作成したこと、被告が同年四月九日、原告に対し、右道頓堀場外発売所の件もあるので、右宣伝文書の配布は被告の指示があるまで待つよう指示したこと、被告が同五二年五月下旬原告に対し、本件ビルについての規模縮小の要求をしたことは当事者間に争いがなく、これと<証拠>を総合すると以下の各事実が認定できる。
(1) 当時、本件と並行して進められていた道頓堀場外発売所の建築確認が昭和五一年一月三一日なされたが、農林省の許可(承認)があることとの条件が付けられており、そして当時右地元の反対運動が盛り上がつていたため、被告の井沢は、右道頓堀場外発売所(南区)と本件発売所(西区)に対する各地元の反対運動が共闘して拡大し、共倒れになることをおそれて、同年二月一七日、原告に対し、道頓堀が微妙な段階に来ているので本件の方は、しばらく静観してほしい旨の電話をした。
(2) 地元の反対運動が続いたため、原告は、同年三月末「日本中央競馬会サービスステーション新設問題を正しく理解していただくために」と題する宣伝文書を作成して地元住民に配布することを計画し、同年四月、その旨を前記酒井元栄会長らに伝えたところ、同人らは、右配布に反対であるが実力で阻止するわけにもいかないとのことであつた。
これに対し、被告の廣木は、右(1)と同様、本件に対する反対運動と道頓堀場外発売所に対する反対運動が共闘することをおそれ、昭和五一年四月九日、右宣伝文書の配布を被告の指示があるまで待つようにと電話で申し入れた。
そして、酒井会長ら反対の地元住民は四月一二日、原告を訪れ、右宣伝文書の配布はやめてほしい旨申し入れ、結局、原告が右文書を配布する際には、酒井会長に報告したうえで行う旨合意した。
同月一四日、被告の廣木は、原告に右文書の配布については被告は関知しないので、原告の責任で自由に行つてよいと電話で申し入れた。
翌一五日、西区地域振興会長藤原正雄(以下「藤原会長」という。)らが原告を訪れ、「場外馬券売場設置反対協議会」(加盟団体は、右振興会外四団体)による反対決議書を手渡し、本件発売所設置に対する反対のビラ、立看板の準備も出来ているが、原告が前記宣伝文書の配布を見合わせているので、出していないと述べた。しかしながら、反対の署名運動は行つている様子であつたので、原告も、右宣伝文書約六〇〇〇通を同月一七日、地元住民あて発送した。そして、これに対しては、前記3(二)の(6)のように反対運動が強まつた。
(3) 昭和五二年三月ころ、道頓堀場外発売所が完成し、本件で大きい発売所を作る必要がなくなつたこと、本件ビルの規模縮小により地元住民の反対が弱くなるかもしれないと期待されたことから、被告は原告に本件ビルの規模縮小の設計変更を申し入れ、結局原告もこれを受け入れて、設計変更をなした。
<証拠>中の右各認定に反する各供述部分は、曖昧であり、かつ右認定に用いた前記各証拠に照らし措信し難く、他に右各認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の各事実を合わせ考えると、被告の井沢が昭和五一年二月一七日、原告に対し、道頓堀が微妙な段階に来ているので本件の方はしばらく静観してほしい旨の電話をし、また被告の廣木が同年四月九日、原告の宣伝文書の配布を被告の指示があるまで待つようにと電話をしたのであるが、これはいずれも、当時並行して行われていた道頓堀場外発売所(南区)と本件発売所(西区)に対する各地元の反対運動が共闘して拡大し、共倒れになることをおそれたため行つたのであり、また後者の点についてはわずか五日後の同月一四日、右廣木が原告に右文書の配布については被告は関知しないので原告の責任で自由に行つてよいと電話しているのであつて、極く一時的なものにすぎないということができる。したがつて、右の2点をもつて被告に違法性ないし帰責事由ありとはいえない。
また、昭和五二年三月、被告が原告に対し、本件ビルの規模縮小の設計変更を申し入れたのも、道頓堀場外発売所が完成し、本件発売所が大きいものである必要がなくなつたことの他、本件ビルの規模縮小により地元住民の反対が弱まるかもしれないと期待されたためなのであるから、右変更申入の点から直ちに被告に右不能について帰責事由があるとは認められない。そのうえ、そもそも右はあくまで設計についての問題であり、前記のような地元同意取付不能との間に直接の因果関係があるものとは認め難い。(なお、証人渡辺英秋、同多喜久、同飛田隆、同小川静一良は、被告が地元住民の同意取付に当たり、場外発売所設置に賛成の住民に対して、右設置に反対の住民と比べて、地位の低い職員しか応対させず不平等な扱いをしたり、また大規模開発の許可と建築確認手続に関し大阪市役所の中川建築指導部長を訪ねた際、右発売所設置についての熱意を疑わせるような発言をして同部長に不快の念を抱かせたりしたため、原告の地元同意取付等の作業が困難となつてしまつた旨証言するが、前者の点については、そもそも設置に反対の住民に対してこそ、同意取付のためには、地位の高い職員に応対させるなど、より熱意をもつて説得する必要性が高いともいえるのであり、直ちに不当な方法ということはできないし、また後者の点の各証言は曖昧であり、証人廣木康紀、同田中達夫の各証言に照らし措信し難い(また他に右事実を認めるに足りる証拠もない。)。)
(三) 右のように地元同意取付については、既に被告の責に帰すべからざる事由によつて社会通念上不能となつていたのであるから、被告が前記三2のとおり、本件計画について打ち切りを宣言し本件建設協力金の返還要求等をしたことについて違法性ないし帰責事由は認められない。
5 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告主張の請求原因3(契約不履行による損害賠償請求)は理由がない。
四請求原因4(損失分担合意に基づく損失分担請求)について
1 前記二のとおり本件共同事業契約の締結の事実は認められず、したがつて、その余の点について判断するまでもなく請求原因4(本件共同事業契約の特約としての損失分担の合意に基づく請求)は理由がないが、原告の右主張は、予備的に、前記二で認定したような計画案の作成、合意しか認められないときでも、その特約として損失分担合意の成立を主張し、又は、他の合意の特約としてではなく独立の損失分担合意を主張する趣旨のものとも善解する余地もあるのでその点についても判断する。
2 請求原因4(一)(損失分担合意)、同4(二)(金利負担についての損失分担合意)について
前記二1のとおりの各事実が認められるのであるが、この事実のほかに原告発起人組合代表者山口吾郎と被告との間で昭和四九年一月一一日又は同月二四日に、原告の本件ビル建設事業が失敗した場合の損失(ないし金利負担についての損失)を各二分の一ずつ負担する旨の合意が成立したかの点について検討するに、<証拠>中には右主張に添うが如き供述部分があるが、その供述内容は曖昧であり、前記二1において認定した折衝に関する各事実、特に、不二建設、伊藤忠商事側から事業失敗の場合の危険負担の要求が被告に対してあつたが、その要求の実質は、建設協力金というような形で、本件ビルが建築される前から、被告より無利息の資金を借り受けたいという内容であつたこと、不二建設ら側から出された第一案、第二案にも、右のような協力金についての記載はあつても、事業失敗の場合の損失の分担については何も記載されていなかつたこと及び<証拠>に照らし措信し難い。
また、<証拠>によると、酒折が山口らに対し、昭和四九年一月一一日ころ、リスクは原、被告間でフィフティ・フィフティないし五分五分である旨の発言をし、二月二四日には原、被告双方がリスクを負担する旨の発言をした事実が認められるが、前記二1のとおりの認定事実、<証拠>を総合すると、右各発言は従前は場外発売所用ビルの建築のリスクはすべて民間側が負うという形でやつてきたが、これからは被告も右ビルが建築される前に無利息の建設協力金を原告等に貸付けることで危険を分担していくという説明の中でなされたものであり、前者の発言は、特に、本件土地購入代金二〇億円のうち一〇億円を被告の斡旋によるものの、不二建設を通して原告が住友銀行から借り、残りの一〇億円を被告が無利息の建設協力金を原告に貸付するので右代金の半分を結局被告の金でまかなうという趣旨でなされたものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして右事実を合わせ考えると右各発言がなされたという事実から直ちに前記損失分担合意の事実を認定することはできない。
また、<証拠>によると、本件ビル建築等について酒折らが山口らに対し、「競馬会はあたたかい所。」「あこぎなことはしない」ないしはこれに類するような発言をした事実が認められるが、これらの発言は、内容が漠然とした曖昧なものであり、これらから直ちに原告主張のような損失分担合意に結び付くものとは到底認められないし、右各発言も、前記二1のとおりの認定事実、<証拠>と対比すると、もつぱら、建設協力金の出し方、額等についての交渉の際になされたものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はなく、この点からすると一層、原告主張の事実に結び付くものとは認め難い。
そして、他に右各合意の成立を認めるに足りる証拠はない。
3 よつてその余の点について判断するまでもなく、請求原因4(損失分担合意に基づく損失分担請求)は理由がない。
五請求原因5(匿名組合契約ないし民法上の組合契約に基づく損失分担請求)
1 匿名組合契約について
匿名組合契約とは、当事者の一方が相手方の営業のために出資をし、その営業から生ずる利益を分配すべきことを約することにより効力を生ずるものであるが、本件において、原、被告間に合意として結実したものは、前記二1(八)及び(九)で認定したとおりのものにすぎず、全立証によつても、右のような当事者の一方が相手方の営業のため出資をするもの、ないしその営業から生ずる利益を分配すべきことを約したものと認めるに足りる証拠はなく、したがつて匿名組合契約に該当するものとも、これに類似するものとも認められない。
また、そもそも原告が匿名組合(商法第三編第四章)のどの規定を理由に被告に対して損失分担を請求しているのか明らかでないのみならず、原告の請求を根拠づける規定は存しない。
2 民法上の組合契約について
民法上の組合契約とは、各当事者が出資をし、共同の事業を営むことによつて効力を生ずるものであるが、本件において合意として成立したものは同じく前記二1で認定したとおりのものであるにすぎず、全立証によつても、右のような各当事者が出資をし、共同の事業を営むものと認めるに足りる証拠はなく、したがつて民法上の組合契約に該当するものとは到底認められない。
3 したがつてその余の点について判断するまでもなく請求原因5は理由がない。
六請求原因6(契約締結の過程における信義則上の注意義務違反による不法行為に基づく損害賠償請求)について
原告は、被告の酒折副理事長の「本件事業についての危険負担は五分五分であり、被告も共に危険を負担する。」旨の発言をとらえて契約締結の過程における信義則上の注意義務違反を主張するけれども、右発言の経緯は前記四2認定のとおりであり、また、原告代表者山口が、本件ビル建築事業失敗の場合の損失についてその半分を被告が負担するものと信じた事実については、<証拠>中には右に添うが如き供述部分があるが、曖昧であり、かつ、前記二1において認定した事実及び前記四2において認定した各事実及び証人酒折武弘、同金丸光富の各証言に照らすと措信し難く、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
したがつて、原告の右主張を採用することはできない。
七結論
以上によれば、原告の本訴請求はいずれも理由がない(なお、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件ビル建築計画が不能となつて失敗に帰したことにより、原告が少なからぬ損失を被つたことが認められるが、もともと本件ビル建築計画は民間側が本件ビル建築までの全責任を負うことを前提として始つたものであつたが、不二建設、伊藤忠商事側の強い要請の結果、被告は、建設協力金の出し方に便法を講じ、本件ビル建築着手のかなり前の段階から、建設協力金の名目で合計一〇億円もの金員を原告に無利息で貸し付けたのであり、その利息分(貸付の昭和四九年から返済された同五五年までの金利分は巨額のものとなる。)については、被告が損失を被ると同時に、原告は相当な利益を享受したものであるし、また本件計画が失敗したため、原告は右のような損失を被つたが、反対に計画が成功していたら原告は賃料等の収入についてかなり有利な利益を期待できたのであつて、本件計画は右利益を期待して、右のような計画失敗の場合の損失を考えつつもあえて実行したものであるうえ、当初の予想では、失敗したとしても当時の常態であつた土地の値上りによる差益により全体の損失はさほどのものではなく、場合によつては損失はないかむしろ利益が出るくらいではないかとされていた(ただ、本件ではその後、予想されていなかつたオイル・ショック等の経済事情の激変により、右のような差益は期待できないこととなつただけである。)ことをも合わせ考慮すると、原告の前記損失も事業推進に伴う危険として甘受すべきものであり、本件のように法律上の請求として損害賠償ないし損失分担として被告に請求することは認められないのである。)ので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小倉 顕 裁判官渡邉了造 裁判官大渕哲也は海外出張中につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官小倉 顕)